「国分寺」と「国分尼寺」の違い、あなたは説明できますか?
どちらも奈良時代に日本に建てられたお寺ですが、両者に明確な違いはあるのでしょうか。
このページを読めば「国分寺」と「国分尼寺」の違いがわかります。
広辞苑より
広辞苑 第七版で各言葉は次のように表現されています。
国分寺の定義
「国分寺」を広辞苑で調べると、
741年(天平13)聖武天皇の勅願によって、五穀豊穣・国家鎮護のため、国分尼寺と共に国ごとに建立された寺。正式には金光明四天王護国之寺という。奈良の東大寺を総国分寺とした。
広辞苑 第七版 より [発行所:株式会社岩波書店]
とのことで、「国分寺」は、741年(天平13年)に聖武天皇の願いにより、全国各地に建てられた僧侶のお寺であることが分かりました。
目的は、五穀豊穣(作物が豊かに実ること)や国家の平和と安全を祈るためでした。
国分寺は、全国の国ごとに建立され、正式には「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」という名前で呼ばれていました。
現在も全国に50ヶ所近くの国分寺があり、そのほとんどが国の指定を受けています。
特に奈良の東大寺が「総国分寺」とされ、日本の国分寺の中心的な役割を果たしました。
各地に建てられた国分寺は、政治の混乱や社会不安を仏教の力で解決するために建てられました。
国分尼寺の定義
「国分尼寺」を広辞苑で調べると、
聖武天皇の勅願によって、国分寺とともに国ごとに建立された尼寺。正式には法華滅罪之寺と称し、法華経を講じさせ、奈良の法華寺を総国分尼寺とした。
広辞苑 第七版 より [発行所:株式会社岩波書店]
とのことで、「国分尼寺」、国分寺と同じく741年(天平13年)に聖武天皇の願いで、国ごとに建てられた尼僧のお寺です。
正式には「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」と呼ばれ、仏教の「法華経」というお経を講じ、国家と人々の平和を祈る場として設立されました。
奈良にある法華寺が全国の国分尼寺を統括する「総国分尼寺」となり、日本全国に法華経の教えを伝える中心地とされました。
国分尼寺は女性の尼僧が修行し、祈りを捧げる場所として多くの人々に信仰され、平安や安全を祈る大切なお寺とされていました。
つまり「国分寺」と「国分尼寺」の違いは?
つまりそれぞれの違いは
- 国分寺は「奈良時代に聖武天皇がその建立を指示した僧侶が在籍する寺院」
- 国分尼寺は「奈良時代に聖武天皇がその建立を指示した尼僧が在籍する寺院」
となり、「国分寺」は奈良の東大寺を総国分寺とした男性の僧が勤める寺院であるのに対し、「国分尼寺」は奈良の法華寺を総国分尼寺とした女性の尼が勤める寺院であることが分かりました。
神社と寺院の違いはこちらでまとめています。
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